こころのオアシス(1月号)
子どもたちへのメッセージ
「いじめたい心」とどう向き合っていますか 富田富士也(子ども家庭教育フォーラム代表)
「いじめ」といいますが、程度にもよりますよね
「弱いものいじめをするな!」
と友だちや先生から言われたこともありました
それでずいぶん恥ずかしい気持ちになったことを覚えています
反対に、いじめられているときに、その言葉でかばってもらえて安心感をもてたことも覚えています
でも、同じ「いじめ」とよばれるものでも、中学の先輩から万引きを命令されたり、恐喝されたり、校舎の見えにくい所にあった板張りの小屋の前にペッタリと立たされて、ナイフをからだのまわりに投げつけられる、“しごき”という名の「いじめ」は忘れようにも忘れられない怖さであり、憎しみ、悔しさです
下級生のみんながみんな「される」なら、どこかで「一人ぼっちではない」という強さにもなります
でも「されない」人を見ると、「どうして自分が・・・」と比較されている現実に、命令している先輩だけでなく、友だちまでも憎しみの対象になってくるのです
卒業してから30年後のクラス会が郷里の村で開かれ、そこでこの先輩のことを話したら、同じ“しごき”を受けた何人かが声を合わせて
「よし、今からあの先輩を殺しにいくか!」となりました
すると当時、勉強ができて被害にあっていなかった学級委員長が笑いながら言いました
「見る影もない、よたったオヤジになっているよ、ばからしいからやめとけ!」
それで酔いの過ちを犯さなくてすみました
でもやっぱり、あの先輩のことは「なつかしい思い出」にはなりません
ところが不思議にも、このクラス会のこの一コマが、先輩への憎しみを「もう、どうでもいい」ことにしてくれているのですね
同じ「いじめ」でも“恐喝”“しごき”は暴力事件です
一緒にしてはいけません
でも、根っこには「いじめたい心」があったのです
そして悲しいことに、そのストレスのはけ口の相手は、動物でも自分のからだでも“誰”でもよかったのでしょう
きっと生涯「いじめたい心」と私は無縁である、と断言できる人はいないと思います
だから、自分の心の中に起こる「いじめたい心」と向き合うことを忘れてしまうと、今、いじめを感じている人だって、いつかどこかで「弱いものいじめ」の当事者になるかわかりません
ー以下略ー
「こころのオアシス・1月号」より
価格:300円(税込み)
発行:株式会社 健学社
住所:東京都千代田区富士見1-5-8 大新京ビル
TEL.03-3222-0557 FAX.03-3262-2615
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